精神疾患を患い、「世界が終わったような生活を送っていた頃に残されていたのが音楽と今の仲間だった」ことから、Fukaseが名づけた「SEKAI NO OWARI(世界の終わり)」という名のバンドは、ポップな曲に似合わぬ重い歌詞で、多くの若者の共感を得ています。
私の診察室にも、「何のために生きなきゃならないか分からない」「どうして死んではいけないの?」と問う人が、大人子どもを問わず、毎日のようにやってきます。
目的地なしに走り続けることが地獄であるように、目的なしに生きることほど、苦しい人生はありません。
「何のために生きるのか」「生きている意味は何か」
これは、人類永遠のテーマであると同時に、現代を生きる私たちにとって、極めて切実で、リアルな問題でもあります。
むしろ、かつては巧妙に目隠しされていた現実が、ネットや情報技術の発展によって、白日のもとにさらされた、それが現代だといえるかもしれません。
だからこそ「なぜ生きる」を問うたこの書が、発売十五年を経過してなお、老若男女の共感を呼び続けることになったのだと思います。
このたび、この『なぜ生きる』が、「吉崎炎上」という歴史上の事実をもとに、映画化されました。
舞台は、今から五百年前ではありますが、この世の激しい無常を知らされ、生きる意味を必死に探し求めた青年の姿は、今を彷徨う私たちの姿と、まるで二重写しのようです。
一人でも多くの人に、この命のメッセージが届くことを願ってやみません。
何も信じられなくなった今日、真の希望があるとすれば、「なぜ生きる」の答えではないでしょうか。
私たちは何のために生まれ、生きているのか。どんなに苦しくとも、なぜ生きねばならないのか。生きる意味も理由も分からぬまま、いくら生活が便利になり、経済が繁栄しても、それがそのまま幸せといえないことは、日本が身をもって学んだことです。
試験を乗り越え、就職難をくぐり抜け、結婚、マイホーム、子育て、ローンの返済。その先に、どんな光があるのでしょう。自分や家族が癌になるやら、認知症になるやら、介護や年金の心配も絶えません。想定外の災害や、テロの不安もあります。昔も今も、心の中は戦争状態です。 「頑張れば幸せになれる」「上を向いて歩こう」というフレーズは、右肩上がりだった昭和の一コマでは通用しましたが、今は空しく響きます。日本でも格差が広がり、いわゆる貧困層の割合が増えました。家庭の事情で夢を捨てた少年少女に、生きる希望を与えるのは、大人の役目です。それには、「そのうち、いいことがあるよ」という、根拠のない励ましは無効でしょう。
努力の報われる保証は、どこにもないのに、なぜ学校や塾に通うのか。リストラや倒産におびえつつ、何のために働くのか。生きる目的が分からなければ、自殺を止めることも、テロに走る若者を諭すこともできません。
「なぜ生きる」の答えを知れば、勉強も仕事も「このためだ」と目的がハッキリしますから、すべての行為が意味を持ち、心から充実した人生になります。病気がつらくても、人間関係に落ち込んでも、競争に敗れても、「大目的を果たすため、乗り越えなければ!」と〝生きる力〟がわいてくるのです。
時代と国を問わず、子供から大人まで、最も大事な「生きる目的」を論じた原作『なぜ生きる』は、幸い広範な読者に迎えられました。その核心を、歴史の事実を通して描いたのが、このアニメーション映画です。
朝の来ない夜はありません。どんな人にも、「人間に生まれてよかった」と喜べる日が、必ず来ます。
映画「なぜ生きる――蓮如上人と吉崎炎上」、本物の生きる勇気を届けます。